2007年11月20日
目先の安価を謳うオール電化は、社会悪足り得るか
他種の絶滅の代わりに人は何人死ねばいいか
天候パターンの維持に人は何人渇けばいいか
景観の保存のために人は何人餓えればいいか
『環境』と言う考え方を僕は容れません。
アレは人々の追憶と憧憬につけ込んだ真、美辞麗句。
そしてその裏腹さ故のミス・リードが、様々な発展の阻害や保護の優先の取違を齎します。
世論という名の大型車輌が、制御を超えて轟轟と、道の端端を削って往くように。
社会を動かすほどの身奇麗さを取り繕うための手段としてそれは、間違った選択とは言えないでしょう。
本来目的である、人類の保護を推し進めるための。
真実を説けば人が列なるなど絵に描いた餅もいいところ。故に虚言ならざる詭弁ならば、吐かざるを得ないときもあるというコトです。
由って、先ほどの言葉はあくまで僕の個人的な一意見です。
記憶の片隅に釘する意味での。
電気と言うものは、今やライフラインの重大要素まで成り上がった、しかし自然状態ではほぼ採取できない資源です。
しかし、取り扱い、敷設、収納の利点から次第に普及し、様々な目的に用いられるようになり、インフラが整い、今度は色々な資源の代わりまで果たすようになって来ました。
いえ、資源の代わりを為すことこそ真核なのかもしれません。
ですが、便利さを棚に上げて、発電方法については批判の槍玉に晒されてきています。
まあ、舌の根も乾かぬうちに、その利便性を享受している人々ばかりですからいいのですが。
そもそも電気を使わずに、電気を批判する情報は伝わることすら叶わないわけですしネ
簡便性の代わりに、何かを犠牲にしている代表例と言えます
問題は、現状で電気資源は、間接的採取しか出来ないことにあります。
つまり、何らかの資源を費やすことで、始めて資源となり得る。
ウランや石油を燃やすなり、自然循環する水や風を通すなり。
熱や水蒸気、移動によるタービンの回転など、その手法は様々ですが、このとき、エネルギーは100%電気に変わるわけではないのです。
転換効率と呼ばれる、つまりは発散や変質などのロスが含まれます。
素直に言えば、電気にせずにそのままエネルギーとして使った方が資源を搾取する必要性が減ります。
特に、発電法の中核を成す原子力・火力の熱発電は。
オール電化とは、簡単に言えば、ガスインフラの排斥です。
もっと踏み込んで言えば、熱→電気→熱と、二回ものロスを経て、ガスに代わる熱量を得ようとするものです。
確かに、ガスはガス特有の扱い難さやデメリットを持ちます。死亡事故の発生は未だに記憶に残っているでしょう。
そして、ガスを供給するパイプラインの敷設・管理・整備など、インフラが必要になります。オール電化を実現すれば、それは不要になり、二重だったインフラが整理されるように見えます。我々の身近なところでは、基本使用料が節約できる、というコトに反映されてきます。
このまま世相がオール電化という耳新しい言葉に牽引されていけば、ますます電力会社としてはキャンペーンを展開しやすくなり、ガス供給会社は現状の保持すらままならなくなりかねません。顧客数によるパワーゲームの只中にあると言えます。
無論、それがただの資本追求だというのは酷な言葉で、電気は電気で不可欠であるべき予算を欠いています。災害時の即時電力確保や、事故に耐え得る供給ルートの補充などです。
ですが、疑問があります。
既にインフラも完成し、安定供給を可能にしていると言っていい、ガスと言う資源は、使わなくなったらどうするのでしょうか。
採掘準備の整っている資源を、市場原理のみで放棄してしまっては、インフラを構築した分だけまるっきり無駄になりますし、行く先を失った貴重な資源を廃棄するなど以ての外ですね。
この資源枯渇のデッドラインで、それは軽んずべからざる精神です。
先程述べたように、電気とガス、熱量を得るに適するのは後者です。
もし、供給ライン上に無駄があり、労力などを浪費しているのであれば、電気に切り替えるのではなくガスを正すべきでしょう。
以上の理由から、僕はオール電化という企業活動に異を唱えます。
確かに電力は要求に対するに足る発電源から障害耐性まで、難しい問題を抱えています。しかし、それは偏に資源枯渇と開発遅滞によるものであって、それに正対せず、横合いに食指を伸ばすのは誤りであると思います。
市場の奪い合いとは、実に空虚な努力ではないですか。
それに、局面は進展をそこに待っているのです。日本海海底に眠るメタンハイドレート。周辺各国を巻き込みながらも、新たな資源の活用法の模索に、既に追われているのです。
取り組む仕事、組み合う相手、推し進む先を誤ってはなりません。
これも、あくまで僕の個人的な一意見に過ぎません。
記憶の片隅に釘する意味での。
判断するのは、貴方です。
天候パターンの維持に人は何人渇けばいいか
景観の保存のために人は何人餓えればいいか
『環境』と言う考え方を僕は容れません。
アレは人々の追憶と憧憬につけ込んだ真、美辞麗句。
そしてその裏腹さ故のミス・リードが、様々な発展の阻害や保護の優先の取違を齎します。
世論という名の大型車輌が、制御を超えて轟轟と、道の端端を削って往くように。
社会を動かすほどの身奇麗さを取り繕うための手段としてそれは、間違った選択とは言えないでしょう。
本来目的である、人類の保護を推し進めるための。
真実を説けば人が列なるなど絵に描いた餅もいいところ。故に虚言ならざる詭弁ならば、吐かざるを得ないときもあるというコトです。
由って、先ほどの言葉はあくまで僕の個人的な一意見です。
記憶の片隅に釘する意味での。
電気と言うものは、今やライフラインの重大要素まで成り上がった、しかし自然状態ではほぼ採取できない資源です。
しかし、取り扱い、敷設、収納の利点から次第に普及し、様々な目的に用いられるようになり、インフラが整い、今度は色々な資源の代わりまで果たすようになって来ました。
いえ、資源の代わりを為すことこそ真核なのかもしれません。
ですが、便利さを棚に上げて、発電方法については批判の槍玉に晒されてきています。
まあ、舌の根も乾かぬうちに、その利便性を享受している人々ばかりですからいいのですが。
そもそも電気を使わずに、電気を批判する情報は伝わることすら叶わないわけですしネ
簡便性の代わりに、何かを犠牲にしている代表例と言えます
問題は、現状で電気資源は、間接的採取しか出来ないことにあります。
つまり、何らかの資源を費やすことで、始めて資源となり得る。
ウランや石油を燃やすなり、自然循環する水や風を通すなり。
熱や水蒸気、移動によるタービンの回転など、その手法は様々ですが、このとき、エネルギーは100%電気に変わるわけではないのです。
転換効率と呼ばれる、つまりは発散や変質などのロスが含まれます。
素直に言えば、電気にせずにそのままエネルギーとして使った方が資源を搾取する必要性が減ります。
特に、発電法の中核を成す原子力・火力の熱発電は。
オール電化とは、簡単に言えば、ガスインフラの排斥です。
もっと踏み込んで言えば、熱→電気→熱と、二回ものロスを経て、ガスに代わる熱量を得ようとするものです。
確かに、ガスはガス特有の扱い難さやデメリットを持ちます。死亡事故の発生は未だに記憶に残っているでしょう。
そして、ガスを供給するパイプラインの敷設・管理・整備など、インフラが必要になります。オール電化を実現すれば、それは不要になり、二重だったインフラが整理されるように見えます。我々の身近なところでは、基本使用料が節約できる、というコトに反映されてきます。
このまま世相がオール電化という耳新しい言葉に牽引されていけば、ますます電力会社としてはキャンペーンを展開しやすくなり、ガス供給会社は現状の保持すらままならなくなりかねません。顧客数によるパワーゲームの只中にあると言えます。
無論、それがただの資本追求だというのは酷な言葉で、電気は電気で不可欠であるべき予算を欠いています。災害時の即時電力確保や、事故に耐え得る供給ルートの補充などです。
ですが、疑問があります。
既にインフラも完成し、安定供給を可能にしていると言っていい、ガスと言う資源は、使わなくなったらどうするのでしょうか。
採掘準備の整っている資源を、市場原理のみで放棄してしまっては、インフラを構築した分だけまるっきり無駄になりますし、行く先を失った貴重な資源を廃棄するなど以ての外ですね。
この資源枯渇のデッドラインで、それは軽んずべからざる精神です。
先程述べたように、電気とガス、熱量を得るに適するのは後者です。
もし、供給ライン上に無駄があり、労力などを浪費しているのであれば、電気に切り替えるのではなくガスを正すべきでしょう。
以上の理由から、僕はオール電化という企業活動に異を唱えます。
確かに電力は要求に対するに足る発電源から障害耐性まで、難しい問題を抱えています。しかし、それは偏に資源枯渇と開発遅滞によるものであって、それに正対せず、横合いに食指を伸ばすのは誤りであると思います。
市場の奪い合いとは、実に空虚な努力ではないですか。
それに、局面は進展をそこに待っているのです。日本海海底に眠るメタンハイドレート。周辺各国を巻き込みながらも、新たな資源の活用法の模索に、既に追われているのです。
取り組む仕事、組み合う相手、推し進む先を誤ってはなりません。
これも、あくまで僕の個人的な一意見に過ぎません。
記憶の片隅に釘する意味での。
判断するのは、貴方です。
Posted by どさんこ001 at 18:29
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